サンボ

サンボ(sambo)はロシア(旧ソ連)で生まれた軍隊格闘術、格闘技。

打撃を含む格闘技としてのコンバットサンボと、投げ技・関節技のみのスポーツサンボがあり、どちらも世界で広く親しまれている。

サンボの成り立ち

1917年に起こったロシア革命から、ソビエト連邦が樹立される。建国されたばかりのソビエト連邦では、近代戦に有用な軍隊格闘術の研究・開発が行われた。
ソ連の軍隊格闘に大きく貢献し、サンボの祖と言われている人物は二人いる。一人がビクトル・スピリドノフ、もうひとりはワシリー・オシェプコフだ。

スピリドノフのサモズ


1923年、ソ連の陸軍将校であったビクトル・スピリドノフボクシング柔術を基に、素手での護身術サモザシータ・ビズ・アルジャー(サモズ)を創始。
サモズ開発に当たっては、グルジアで発達したチタオバ、ウズベキスタンのクラッシュなどソ連の様々な地域の民族格闘技が取り入れられたとも言われている。

サモズは軍隊での格闘教練に取り入れられ、やがてサンボと呼ばれるようになる。

オシェプコフの柔道


サハリンで生まれ、孤児として日本に移送されたワシリー・オシェプコフは講道館で柔道を学んだ。
1913年、ロシアに帰国したオシェプコフは柔道の道場を開き、警察や軍に護身術の指導を行った。

オシェプコフの弟子アナトリー・ハルラムピエフは、オシェプコフから教わった技術を体系化し、スポーツとして「ソ連式フリースタイルレスリング」を創設。技術の高さと安全性により世界中に広まっていった。

現代のサンボ

1947年当時、スピリドノフのサンボとオシェプコフの柔道がソ連軍内で大いに浸透し、技術が融合しつつあった。
これに便乗して、ソ連式フリースタイルレスリングは「サンボ」と改称され、ソ連の国技となった。

一方、軍隊格闘術である本家のサンボはコマンドサンボコンバットサンボなどと呼ばれ、格闘技として一般にも広まっている。

サンボの技術

コンバット・サンボ

格闘技や護身術としてのコンバットサンボには打撃が含まれるが、最終的には関節技で相手を制する事が多い。
組み合った状態からの関節技、絞め技の攻防が発達しているため、組み付けば無類の強さを誇る。

さらに軍隊で使われるコンバットサンボ(コマンドサンボ)は相手をより素早く倒すことを重点に置き、投げ技から関節技につなげたり、そのまま骨を折る技、頭突きや目をえぐり出すなど危険な技が多く含まれる。
武器を持った相手との戦いも想定している。

【競技としてのコンバットサンボ】

スポーツ・サンボ

打撃は一切使用せず、投げ、関節技、押さえ込みにより勝敗が決まる。
柔道と違い、絞め技は禁止されている。また足関節を決めるテクニックが発達している。

サンボを使う有名人

エメリヤーエンコ・ヒョードル(1976 – )

ロシアの格闘家。
柔道・サンボの大会で活躍した後、総合格闘技界に進出。
日本のPRIDEやアメリカのUFCなどのイベントで華々しい戦績を上げ、総合格闘技界で最強の男と言われている。

サンボを使うキャラクター


ニーナ・ユージック(テラフォーマーズ)


ブルー・マリー(餓狼伝説3)


バイマン(デッド・オア・アライブ)

サンボに関連する武術

システマ

サモズから派生した、サンボの兄弟ともいえる軍隊格闘技。

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