柔道

柔道は、柔術を元にしてつくられた日本の武道である。

柔術から当身(打撃技)をなくして安全性を高め
これにより体と心を鍛え、人格形成の教育を目的とした「武道」となった。

現在ではスポーツとして世界的に広まり、取り組まれている。

柔道の成り立ち

1860年、兵庫県で産まれた嘉納 治五郎(かのう じごろう)は、幼い頃からさまざまな学問を修め、エリートとしての道を歩もうとしていた。
しかしその反面、体が弱く、先輩や同級生から横暴な態度をとられることの多かった彼は、非力なものでも大きな相手を倒すことができるという柔術を学ぶことを決意。東京大学在学からさまざまな流派の柔術の道場に入門し、技を修めていった。
大学卒業後は教師をしながら技の鍛錬に励み、各流派の技術をまとめ、さらに相手の身体を崩して投げる「くずし」の研究を重ねていった。

1882年、自らの柔術を教える道場「講道館」を開き、講道館柔道を創始する。
講道館の入門者は年々増えていき、警視庁武術大会で弟子たちが活躍したことにより警視庁の必修科として取り入れられ、世間に名を広めた。
強い肉体と強い精神を養う柔道は、人間教育の一環として中学校の必修授業とされ、全国に普及した。

戦後はGHQによって武道の授業が禁止されたが、民間道場での柔道人気は衰えなかった。
柔道の大会が毎年幾度となく開催され、世界にも普及していく。1956(昭和31)年には第1回世界柔道選手権大会が開催され、1964(昭和39)年の東京オリンピックで柔道が競技として加わった。

高専柔道

高専柔道(七帝柔道)は、一般的な柔道(講道館柔道)とはルールが異なっており、寝技の技術が発達している。
1898年、第一高等学校(東京大学の前身)と第二高等学校(東北大学の前身)の間で行われた柔術の対抗戦を元に生まれ、現在も旧帝大で受け継がれている。
高専柔道の優れた寝技の技術は、柔道界や日本の格闘技界でも注目されている。

柔道の技術

柔道の試合では 立ち技寝技 が行われる。
柔道の立ち技・寝技は日本の戦場で発達した柔術がもとになっており、鎧甲冑を着た敵に投げ技でダメージを与え、そのまま取り押さえて脇差で首を掻っ切ることが目的であった。

立ち技

お互いに立った状態から、相手の重心の動きを利用して投げを決める。
柔道の投げ技は、相手を背中から地面に叩きつけることを目的としている。
これは単純にダメージを与えるだけでなく、相手を仰向けにしてマウントポジションを取りに行くための動作とも言える。

寝技

立ち技が綺麗に決まらなければ、そのまま寝技に移行する。
寝技は基本的にマウントポジションを奪い合う勝負だが、首を絞めたり関節技でギブアップさせることもできる。

受け身

受け身は体が地面にぶつかる瞬間に、手と足で地面をたたいて衝撃を分散させるテクニック。このとき頭は打たないように浮かせる。

柔道ではスプリングの入った畳マットが使われるが、それでも柔道の投げ技は大変危険なので、受け身をしっかりマスターしなければいけない。
受け身をマスターすると、普段、転んだ時にもケガをしにくい。例えばスキーで転んでも骨折しなくて済むだろう。

柔道はどんな人に向いてる?

柔道の稽古(特に乱取り)はとてもハードなので、筋力と体力をつけたい人には最適。

体の大きい方が有利ではあるが、ほとんどの試合では階級制になっているので小柄な人でも活躍できる。また運動神経が悪くても問題なく強くなれるので、スポーツが苦手な人にもお勧め。

実戦では

柔道では打撃がないので、柔道だけでは打撃への対処ができず不利である。
ただし柔道で鍛えた筋力と体力は大きな武器になるだろう。
柔道の技は、畳マットの上以外で使うと非常に危険なので、ケンカで使うのはおすすめできない。

柔道を使う有名人

木村政彦(1917 – 1993)

史上最強の柔道家と言われている。
全日本選手権を13年連続優勝し、不敗のまま引退。
ブラジリアン柔術の創始者エリオ・グレイシーと対戦し、これを破る。またプロレスラーとしても活躍した。
驚異的な怪力と攻撃的な柔道スタイルから「鬼の木村」と呼ばれ恐れられた。

ウラジーミル・プーチン(1952 – )

第4代ロシア連邦大統領。
KGB(ロシアの秘密警察)出身の彼は様々な武道を修めているが、とりわけ柔道をこよなく愛している。
講道館柔道五段、国際柔道八段の実力を持つ。

柔道を使うキャラクター


姿三四郎(姿三四郎)


猪熊柔(YAWARA!)


大門五郎(ザ・キング・オブ・ファイターズ)

柔道に関連する武術

合気道

合気道と柔道は、同じく柔術を元にして作られており、
同じ時代につくられたこの2つの武道は深いかかわりがある。

合気道の創始者・植芝盛平は若い頃、講道館の高弟から柔道を教わり、これに打ち込んでいた。
後に植芝は大東流柔術などの古流武術をもとに合気道を創始したが、その理念に講道館柔道の影響が及んでいたことは想像に難くない。

さらにのち、柔道の創始者・嘉納治五郎は植芝の合気道の演武を見て「これこそ本当の柔道だ」と賞賛し、講道館から高弟を派遣し植芝に弟子入りさせた。

ブラジリアン柔術

講道館の高弟だった前田光世が、ブラジルでグレイシー兄弟に柔道を教えたことがブラジリアン柔術の始まりである。

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