カプ・クイアルア

カプ・クイアルアは、ハワイ諸島に古くから伝わる武術である。単にルアとも呼ばれる。
その内容は徒手格闘術、武器術、砲術、兵法、海戦戦術など幅広い。

カプ・クイアルアの成り立ち

紀元前700年頃より、カヌーに乗り太平洋を旅するポリネシア人がハワイ諸島に住みつき、それぞれの島で伝統を守りつつ暮らしていた。

1300年代、戦争の文化を持つタヒチ人が移住してきたことにより、いくつかの武術と身分階級制度がハワイにもたらされた。これ以降ハワイ諸島では、異なる島の住民の間で戦争が繰り広げられ、一方で人々を階級に分けた社会戦争や権力闘争も行われるようになる。
こうした土壌の中で、ルアと呼ばれるハワイ土着の武術が形成されていった。ルアは元来、アリイ(貴族)とコア(貴族を護衛する戦士)だけが修めることのできる秘伝であり、王宮の外でルアを教えたり実践した者は処刑された。

1778年、イギリスの海洋探検家ジェームズ・クックがハワイ諸島を発見する。
このときハワイ諸島には統一王朝が存在しなかったが、ルア使いの戦士カメハメハが西欧人の知恵や武器を取り入れることで周辺の島々を征服してゆき、1810年、ハワイ王国を立ち上げる。
これ以降、ルアには銃器の扱いも含まれるようになった。

1820年代、カメハメハ2世の統治時代には、これまでの力による支配を否定し、ルアの継承が行われなくなった。また神官の地位や伝統宗教が衰退したため、その頃に訪れたアメリカの宣教師によりキリスト教の布教が始まった。
1840年代には宣教師の権力が増大し、伝統文化や儀式を邪教として扱われ、ルアを教えることも禁止された。

そして20世紀には完全に失伝したかに見えたルアであったが、実際には秘密裏に、あるいは農村部では細々と技術が伝えられており、今日ではハワイ諸島各地に開かれた教室で誰でもルアを学ぶことができる。

ルアとフラ

ハワイの伝統舞踊フラの中には、ルア特有の膝を落とした構えなど共通の動きが見られる。
フラダンスの動きは元々ルアの修練の一つとして生まれ、そこから神に捧げる儀式へと変化していったものと考えられる。

また他にも、ハワイで行われるロミロミというマッサージも元をたどればルアの戦士が修める医療術であり、ルアがハワイアン文化の多くに影響を与えていることがわかる。

カプ・クイアルアの技術

カプ・クイアルアはハワイ語で「禁じられた、2度打つ武術」を意味する。つまりたった2回の攻撃で相手を戦闘不能に陥らせることを真髄としている。

クイアルアの格闘は主に、立った状態から一瞬で相手の骨を折るか関節を脱臼させることを狙う合気柔術に近いものであり、そのため戦士たちは相手に掴まれないよう髪を短く刈り、体に薄く油を塗って戦いに臨んだ。また投げや関節技以外にも打撃や神経圧迫(ツボを押さえ痛みを与える)技なども含んだ総合的な武術である。


武器術としては槍や棍棒、短剣などの他、ハワイ原住民の島国特有の武器も使いこなす。

レイオマノ …サメの歯を取り付けた武器。斧や剣、カイザーナックル型などバリエーションがある。

マア …樹皮を編んで作った投石器

ホエ …カヌーの櫂

カプ・クイアルアを使う有名人

カメハメハ1世 (1795 – 1819)

ハワイのシンボルであるカメハメハ大王は、気性は荒いが体格に恵まれ、人並みはずれた腕力を持つ優れたルア戦士であったと伝えられている。また為政者としての才覚も持ち合わせていた。

カプ・クイアルアに関連する武術

檀山流(だんざんりゅう)
檀山流は1920年代に、ハワイ在住の柔術家、岡崎星史郎によって創始された護身術である。
古流柔術に、現地のカプ・クイアルアの技を取り入れ完成された。


日本ではマイナーな流派だが、主にアメリカ西海岸で普及している。
ちなみに「檀山」とは中国語でハワイを意味する

太極拳

打撃、投げ技、固め技のはっきり分かれた総合格闘技とは違い、カプ・クイアルアでは打撃を入れつつ投げを決めたり、関節技をかけながら足を引っかけたりと、投げとも打撃とも極め技とも判然としない混然一体となった技が多い。
これは太極拳など多くの中国拳法にも通じる、非常に実戦的な戦闘法である。

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