合気道

合気道は、柔術を基に作られた日本の武道である。
体さばきにより相手の攻撃をいなし、関節技などで最小限の力を用いて相手を制することから、小柄で非力な者でも使える武術として知られている。

また、合気道は精神性を重視し「人間形成と社会貢献を目的とする」武道であり、敵を倒すことが目的とならないように試合は行われていない。

合気道の成り立ち


1883年(明治16年)に和歌山県の農家で生まれた植芝盛平(うえしば もりへい)は 病弱で小柄な少年であったが、19歳の頃から武道に深い興味を持ち、天神真楊流柔術神陰流剣術柳生心眼流柔術講道館柔道などの武術を学んだ。
植芝は日本陸軍や北海道開拓団などを経ながらも憑りつかれたように体を鍛えつづけ、武術の修練に励んだ。その腕っ節の強さと面倒見の良さから、多くの軍人や開拓民たちから慕われていたという。

武田惣角
31歳の頃、植芝は大東流柔術の達人である武田惣角に出会い、その技術に惚れ込みその場で弟子入り。4年後には大東流の免許皆伝を受けた。

36歳の頃、植芝は神道系の宗教「大本」の教祖、出口 王仁三郎と出会い、その宗教思想に深い影響を受ける。
大本教に入信し、聖地、京都府綾部市で霊的修行に励むかたわら、市内に大東流柔術の道場を開き軍人などに指導を行った。
この頃から植芝は武術に対してスピリチュアルな思想を重んじるようになる。曰く「真の武道とは、愛を育み世に貢献するための、魂の鍛錬である。」

1922年、出口 王仁三郎の命名により自らの武術を「合気武術」と名乗る。
その後植芝は布教のため出口とともにモンゴルに渡る。馬賊との銃撃戦などで何度も命の危機にさらされる体験を経たことで合気武術の技術と思想にはますます磨きがかかり、独自の発展を遂げていった。

帰国後、植芝は関東、関西の各地に道場を開き、陸・海・空軍の養成所で武術指導に当たるなどして名を高めていく。
小柄な体格ながら、あらゆる剛者をねじ伏せる植芝の技は武術界で大きな注目を浴びた。

終戦後の1948年頃から、合気武術を改め「合気道」と名乗るようになる。
植芝は老境に差し掛かっても、精力的に全国各地を回り武術を指導し、また講演などで自身の思想を広めていった。その結果、合気道は全国的に普及し、さらには欧米にも広まっていった。

また、植芝の高弟であった塩田剛三の興した合気道流派 養神館合気道は 実践性の高さを認められ、現在でも警視庁機動隊の研修科目として採用されている。

合気道の技術

合気道の技術は基本的にカウンター攻撃が主体となっている。
相手の突きや蹴り、武器での攻撃を体捌きによってかわしつつ、相手の体勢を崩し、投げや関節技で制する。

相手の攻撃の起こり(呼吸)に合わせて動き、相手の力を利用しながら最小限の力で制することが肝要であり、これを”合気“という。
また相手を壊し打ち倒すのではなく、傷つけずに制する技術が重視される。

合気道と剣術

合気道と、その源流である大東流合気柔術の技は、もともとは日本刀を用いた剣術の技法を体術として活かしたものである。
相手からの正面打ちや横面打ちの攻撃は本来、武器での攻撃を想定しており、また投げ技の入りは剣を構える動きと一致している。
よって合気道の理合いを得るためには、剣術を修めることが望ましい。

総合武術としての合気道

合気道では体術だけでなく木剣術と杖術も学ぶ。
また短刀での攻撃に対する稽古をするほか、胸ぐらや腕を掴まれた状態や座った状態からの対処もあり、日常での危機を想定した総合武術となっている。

合気道には本来、当身(打撃技)も存在し、
植芝盛平は「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分。」と語っている。
ただし当身は打撃によるダメージだけでなく、牽制や相手の体勢を崩すために用いられることも多かったという。
現在では、相手を傷つけず制するという合気道の理念から、当身の指導はあまり重視されな

合気道が求める強さとは

合気道では座った状態からの反撃や、相手の武器を捌く技法も修練する。すなわち合気道は格闘技のように試合の合図で闘うのではなく、不意打ちや日常生活でのとっさの危機への対処ができるシームレスな強さを求める護身の技である。普段の歩き方や立ち振る舞いから改善してゆき常に安定した力を発揮できることが理想とされる

ヤラセ疑惑について

合気道の演武を観ると、技をかけられた側が大げさに吹っ飛んでいくためヤラセではないかと言われることも多い。
このようにわざとらしく見えてしまうのにはいくつかの理由がある。

①最小限の動きで最大限の効果

合気道では、自分の体重や相手の重心の動きを精妙に利用して技をかけるので、地味な見た目とは裏腹に、軽く押されただけのように見えても勢いよく転んだり押し出されたりしてしまう。

②自ら飛ばざるを得ない

技をかけられる側が、自分で前や後ろに吹っ飛んでいることも多い。
しかしこれは関節などを極められ、飛ばざるを得ない体勢を作られているのであって、もしそのまま我慢して突っ立っていれば、骨を折られるか関節を破壊されてしまう。
たとえ受け側が素人であっても、本能的に自分から飛んでしまうだろう。

③受け身の上手さ

合気道の演武では技をかけられる側も技量が熟達しており、大変綺麗に飛び、派手に受け身をとる。
これは首や腰へのケガを避けながら体への衝撃を分散する最良の動作であるが、この受け方のために、素人目にはわざとらしさを感じることがある。

合気道はどんな人に向いてる?

合気道の技術は「ゴリゴリの格闘家とリング上で殴りあう」よりも、例えば日常生活でふいにトラブルに巻き込まれ、バットを持った素人に襲われる…といったような状況に適応している。そういった意味では最も現実的で有用な技術であるといえる。
さらに合気道の投げは打撃に比べてケガをさせにくく、相手を逆上させる心配も少ない。

相手に抱きつかれそうになったり腕をつかまれたりした状態から技をかける稽古もあるので、女性が身を守るのに向いている。

ただし実戦で技を使えるようになるには、それなりの修練が必要になる。それほど武道に興味がないなら短期間で効果が出やすいクラヴマガリャブコ・システマなどの護身術を習おう。

また合気道でより実戦性を求める方には、打撃技を復活させた覇天会や、試合形式を取り入れた合気道S.A.をおすすめしたい。

合気道を使う有名人

塩田剛三 (1915 – 1994)

植芝盛平の直弟子の一人。身長154cmの小柄な体格でありながら、挑んできたプロレスラーや格闘家をことごとく返り討ちにし「不世出の達人」「生ける伝説」などと称えられた。


スティーブン・セガール (1952 – )

ハリウッド映画でも活躍するアメリカの人気俳優。
17歳で来日し空手や太極拳などさまざまな武道を修め、なかでも合気道は7段を取得し大阪の道場で師範代を務めていた。
彼の主演した映画『ハード・トゥ・キル』や『刑事ニコ』などのアクションシーンでは、合気道の技を見ることができる。

合気道を使うキャラクター


渋川剛気(グラップラー刃牙)


皆口由紀(エアマスター)


ギース・ハワード(餓狼伝説)

合気道に関連する武術

柔道

柔道と合気道はどちらも古流柔術を基にした武術であり、創始された時期も近い。
かつて二つの武術のあいだには深い交流があり、共通する技法も多く見られた。

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